ドラッカーは、20世紀初頭のフォードの移動組立法による自動車の大量生産を目の当たりにし、社会は、商業社会から産業社会へ移行すると説いた。
19世紀に生まれた商業社会は、産業革命を経た大量生産を旨とし、専門化と統合を基軸とする原理に基づき、労働者は工場内で生産活動をするというよりも、作業をする立場へ変質し、生産物は協働の所産として組織に帰属するという社会形態をもたらした。
商業社会の初期においては、それまで個人の社会的地位と機能の従属物が財産であったものが逆転し、財産が社会的地位の起因となった。
そして、「財産的発展によって自由と正義を実現する」という、社会的価値構造が確立された財産権の行使としての市場における経済的活動が、社会における代表的活動となった。
その結果としての対価は、社会的報酬としての意味を持ち、その蓄積に伴う経済的な力が、最大の社会的威信としての価値を持つにいたった。
このような商業社会においては、市場における経済的活動という、仕事に結びついていた社会的身分・社会的威光および社会的権力は、企業内においては個々の業務に結びつかないで、そこにおいて得る職位と結びつくようになった。
このような構造を基盤としている、大企業を中心として構築されている社会を、ドラッカーは「産業社会」と呼んだのである。
産業社会では、大企業体の数は少ないが、賃金水準・価格政策・生産方式などの社会的影響は大きく、他の産業のみならず、生活や文化さらには政府の政策にまで、影響が及ぶ場合が少なくない。
さらに、大企業体は、現代社会の縮図的な組織構造原理を投影する傾向が強く、このような大企業体は、所有と経営の分離により、一握りの経営者によって支配される構造を有している。
すなわち、 このような巨大な権威と影響力をもつ大企業体は、個人の財産権つまり私有財産制度に基づかない専門経営者によって支配されている。
したがって、経営者は、少数株主に分散された所有株主によって支配や制限を受けることもない。また、彼らに奉仕することも強制されないのである。
このように、商業社会時代には、財産所有者が有していた「所有=支配」という社会的権力は、産業社会のもとでは、所有者から失われてしまっているのである。
一方、現行法においては、権力の正当性は依然として私有財産制度にその基本理念の本質を置いており、それは、社会的にも疑義を持たれず、基本的信念として受容されている。
したがって、形式的には、株式会社の正当な権力は、法律的に正当な統治体、つまり個人の私有財産制に基づいて株主総会において正当に選出され正当に構成された経営者層になければならない。
しかしながら、実態は、株主総会の意思決定は完全に経営者自身に移っている。ドラッカーは、このような問題を提起し、「経営者の権力の機能化、その制限と責任の確立、社会の基本的信条価値の形成」を、示したのであった。
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